永遠なるハワイの物語 vol.15
- 2014/01/10

vol.15 — ハワイが世界に知られるようになったきっかけとは —

西洋人としてハワイに初めて上陸した人物は、
イギリスの冒険家、キャプテン・クック(ジェームス・クック)です。
ハワイという名前を知らなかったクックは、この島々をサンドウィッチ諸島と名付けました。
“サンドウィッチ”という名前は彼が航海を支援してくれたスポンサーが、
サンドウィッチ伯爵だったことに由来します。

クックは全部で3回太平洋を冒険しています。

赤道南側の航路が2回、最後がハワイを発見するきっかけとなった赤道北側の航路です。

3度目の航海はレゾリューション号とディスカバリー号、
二隻の帆船を指揮しながらの航海でした。
その目的は北極海を抜ける北周り航路を見つけるため、
そして2回目の航海で助力を得たタヒチ人のオマイを故郷へと帰すためでした。

オマイをタヒチへ帰した後、北へと進路を変え、
1778年1月、カウアイ島のワイメアに上陸を果たしました。

ハワイはこのとき四大神のひとり、豊穣の神ロノを祀る「マカヒキ」と呼ばれる
収穫祭の真っ最中でした。

ロノは妻とケンカして別れ、ハワイを出て行ってしまったが
いつか海から帰ってくるという古くからの言い伝えがありました。

西洋文化になじみのない古代ハワイアンはクックが率いる船を見て、
ロノが帰ってきたのだと大喜びします。
マカヒキの時期と偶然重なったこと、ロノの肌は白いという伝説。
さらには船の帆がマカヒキの旗(ロノの象徴“ロノマクア”と呼ばれる旗)と
酷似していたからです。

 

このようないくつかの偶然が重なり、彼はハワイアンからロノだと信じられ、
手厚い歓迎を受けたのです。

さらにハワイアンは見たこともない鉄の道具を目の当たりにし、
彼らが作った木製の道具と交換します。
これで畑仕事や海での漁が楽にできると、
ロノだと信じられてしまったクックをもてなしました。

その後、カウアイ島を後にしたクック一行はさらに北へと向かいますが、
次第に寒くなり、天候も悪くなってきたため、再びハワイへと戻ります。

そして1779年1月、今度はハワイ島のケアラケクア湾に上陸。
その時期はまたしてもマカヒキの時期です。

ハワイ島のハワイアンも二隻の船を率いてやってきた西洋人をロノだと勘違いします。
ここでもまた大歓迎を受けて約2ヶ月滞在し、マカヒキが終わろうとしている頃、
ハワイ島を去っていきました。

しかしハワイ島を離れたのもつかの間、不運にも嵐に遭遇して
船の帆を支える棒が折れてしまいます。
ケアラケウア湾周辺にその代用となる木が見つかるだろうと思い、
マカヒキも終わっている同年2月、再びケアラケクア湾に再上陸。
それを見たハワイアンは彼らに不信感を持つようになります。
神の船が壊れるはずがないし、マカヒキは終わったこの時期に
神が戻ってくるなどあり得ないからです。

そんな事情をまったく知らないクック一行は再び手厚い歓迎で迎えられると思っていました。
しかし今度は手のひらを返したようにハワイアンは彼らに冷たく接し、両者は衝突。
きっかけは島民による盗難事件でした。

他の島でも盗難はしばしば起きていたので、そんなときには偉い人物を人質に取れば、
盗品はすぐに返却されて解決されてきました。
そして今回も同じように、チーフのカラニオープウを人質に取って交渉に当たると、
案の定、すぐに盗品は目の前に差し出されました。

そしてクックが盗品を引き取ろうと船から下りると、
その瞬間を見計らって島民は暴動を起こしました。
いったん船へ戻ろうと背中を向けたその瞬間、クックは頭を殴られ、転倒。
転倒したクックの背中にナイフが刺さり、あえなく命を落としてしまったのです。

クックの死体は島民が持ち去り、神の生贄となりました。
遺体は無残な姿となってしまいましたが、船員が懇願してようやく遺体の一部が戻され、
その後、クックは船員たちによって水葬されました。

船長を失ったレゾリューション号、ディスカバリー号の二隻の船がイギリスに帰還したのは、
1780年8月のことでした。

【Profile】

千田 育(せんだ やすし)

ALOHA ‘AINA CONNECTIONS主宰 。
『癒しのパワースポット ハワイ』(アールズ出版刊)シリーズ4冊を執筆。
モノで満足するハワイより、心に深く刻まれるハワイの魅力、自然からの学びや
ハワイアンの精神性などを人々に伝えるアロハ・コネクターとして活動中。

●ALOHA ‘AINA CONNECTIONS
https://www.facebook.com/AlohaAinaConnections

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