【Aloha Interview Vol.31】キワヤ商会 企画部/安田慶宏さん
- 2013/03/15

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ウクレレの老舗「キワヤ商会」にあるウクレレミュージアム「樂」で、ツアーの案内役を務める安田さん。訪れる人、1人ひとりにその歴史や魅力を紹介し、ファンを増やしています。以前は電機-IT業界でアクセク働いていたそうですが、ひょんなことからウクレレに出会い、いつしかこの道へ。その仕事への熱い思いなどをお聞きしました。


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HLC ウクレレ誕生の歴史について教えてください。

実は、ウクレレはハワイで独自に生まれた楽器ではありません。ポルトガル移民が持ち込んだ“ブラギーニャ”という金属弦の小さな楽器が元になっています。1879年、ポルトガル移民としてハワイにやってきたマニュエル・ヌネス、オーガスト・ディアス、ジョセ・サントという3名の家具職人らが、ハワイ独自の木であるハワイアンコアを用い金属弦を羊腸弦に変更したり、弦を4本にしたりとブラギーニャを独自の楽器に作り変えたのです。そうしてできたウクレレを、ハワイ王朝に献上しました。

 

HLC それがなぜハワイで広まったのでしょう?

当時のハワイでは、カラカウア王の下、それまで宣教師たちによって禁止されていたフラを復興させようという動きがありました。元々フラは打楽器とチャント(祝詞)だけで踊るものでしたが、宣教師が来て教会ができたことにより、ハワイの人々も聖歌や賛美歌などメロディーのある音楽を覚えるようになります。そこでカラカウア王は、メロディーのついた歌でフラを再興しようと考えたのです。

 

HLC  フラの再興のための楽器として一役買ったわけですね。

ウクレレという名前の由来についても諸説あります。イギリス軍人のエドワード・パーヴィスが、カラカウア王の前でブラギーニャを小脇に抱えて踊りながら弾いたこと、また、飛び跳ねるように指がフレットを押さえるということもあり、まるで「ノミが飛び跳ねている」(ハワイ語で「ウクレレ」)ようだというのが由来とされています。しかし、王室で使う楽器の名前がそういう意味を持つのはいかがなものかと、リリウオカラニ女王の時代に、「海外からの贈り物(ウク=贈り物+レレ=やってきた)」という解釈にしたともいわれています。

 

HLC なるほど。一般に普及するのはその後ですね。

先に述べたマニュエル・ヌネスが1880年代後半にヌネス&サンズという会社を立ち上げて、ウクレレを商品として作りはじめました。それが、ヌネスウクレレです。ここにもヌネスウクレレがありますが、「inventor of the ukulele」(ウクレレを発明した会社)と誇らしげに中ラベルに記しています。そんなヌネスの元に来たウクレレ職人が、カマカウクレレの創始者、“サミュエル・カマカ”と、クマラエ・ウクレレの創始者“ジョンナ・クマラエ”です。やがてこの2人は、1910年代にそれぞれ独自のブランドを立ち上げることになります。カマカウクレレは、ご存知の通り、今もハワイのウクレレの雄として、世界中に知られています。

 


HLC その頃から世界にも広がり始めた。

1915年にパナマ運河が開通したのを記念に「パナマ太平洋博覧会」がサンフランシスコで行われました。ハワイもブースを出し、そこでハワイアン音楽とフラを披露したのです。南国のエキゾチックなムードがアメリカ人に受けたのでしょうね。間もなくアメリカ本土でハワイブームが起こりました。その博覧会で展示されていたのが、“クラマエ・ウクレレ”です。そこで金賞を受賞しました。昔は、木のペグをただ指し込んで、弦を止めていたのですよ。このモデルはくびれを大きく曲げているのが特徴で、当時でも“ウクレレの貴婦人”と言われていました。

 

HLC その後、アメリカでのブームはどうなったのですか?

マーティンやギブソンなどがウクレレを作り始めました。様々なモデルが作られ、やがて、1950年代にプラスチックを使用することにより安価で、大量生産が可能になります。プラスチックウクレレの大ブームがやってきたのです。意外とかわいらしい音がしますよ。プラスチックウクレレは当時900万台くらい売れましたが、コンディションの良い物は非常に少ないです。それからエルビス・プレスリーやビートルズなどのミュージシャンが出てきてエレキギターやロックが台頭しだすと、ウクレレは徐々にフェイドアウトしていきました。

 

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HLC 再び注目されるようになったのはいつ頃からでしょう。

1990年頃からです。日本では、ハーブ・オオタさんがウクレレでジャズを演奏したことで、ジャズ好きがウクレレの面白さに気づき始めていました。インパクトを与えたのは、ジェイク・シマブクロさんの登場です。アグレッシブで情熱的な演奏が注目され、ウクレレの印象が変わったのです。サイズも、ソプラノ以外にもコンサート、テナー、バリトンといったものが昔からありましたが、ジェイクがカマカのテナーウクレレを使用したことから、ソプラノ以外のサイズのウクレレにも注目が集まりました。特にジェイクが使っているテナーサイズは、市民権を得ました。ウクレレそのものが見直され、ハワイが自分たちの文化をもう一度見直そうとしていた時期とも重なりますね。

 

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HLC 安田さんとウクレレの出会いについてお聞かせください。

30代の中頃、大半の時間を仕事に費やす中で、何か気分転換できるものを探していました。その時、頭をよぎったのがウクレレだったのです。楽器量販店で購入し、持ち帰ってポロンと弾いてみたら、その音色に一気に魅了されました。この時買ったのがキワヤ商会の「フェイマス」というブランドです。単純に見た目と音が好みだったのですが、まさかその会社にお世話になろうとは夢にも思いませんでした。

 

HLC 運命の出会いですね。

ハワイが好きで、当時は毎年のように訪れていたのですが、その頃からハワイやウクレレの歴史を勉強するようになり、ウクレレのホームページを立ち上げ、それを契機に愛好家の皆さんと交流するようになりました。そして、ハワイやウクレレ文化の普及、促進、紹介をライフワークにしていきたいと思うようになり、今に至るというわけです。

 

HLC 安田さんにとってウクレレの魅力とは何ですか?

キヨシ小林さんの「レレの青い空」という曲に、「ポロンと弾けば、心はパラダイス 悲しい時もつらい時も」という一節があります。まさにそれが魅力だと思います。そして、ウクレレは、1人で弾いても楽しいけれど、皆で弾けばもっと楽しい。昨年の日本のウクレレピクニックでは、多人数同時演奏でギネス世界記録を更新しました。ウクレレは、人と人とをつなげていく楽器だと思いますね。

 

HLC ウクレレを通してやってみたいこと、今後の夢は何ですか?

ウクレレで、世界中の人々とコミュニケーションしたいと思います。今の日本では、ウクレレは自己表現の1つのように感じます。まだ個人や少数グループの中で閉じている傾向があって、その内的な世界観を外に出して、世界中の人々と交流してほしいですね。音楽を奏でるということは、共通の「言葉」で話しかけているということなんですよ。その思いもあり、キワヤ商会ではウクレレコンテストを11月に開催しており、今年で7回目となります。ウクレレはコミュニケーションをとりやすい楽器、簡単に手に取れて、すぐ弾け、かつ教えやすい、国境を越えて一緒に弾ける楽器。ワークショップや発表会、交流したりする合宿をいつか開催したいですね。もちろん世界中の人たちと。

 

HLC ありがとうございました。

 

【Profile】
関西学院大学社会学部卒業後、電機メーカ広報、大手ITプロバイダーWebshopモール運営業務を経て、フリーランスに転身。2003年より(株)キワヤ商会に勤務。 キワヤ商会のWEB・イベント関連・広報・販促業務を一手に手がけている。

キワヤ商会ウェブサイト http://www.kiwaya.com
ジ・ウクレレコンテスト公式サイト http://www.kiwaya.com/contest/

【Information】
キワヤ商会(東京・台東区)では、1F・2Fがショウルームとなっており、1Fはフェイマスを筆頭にしたコストパフォーマンスの優れたウクレレやケース、アクセサリー類を販売。2Fは内外のウクレレ職人によるハンドメイド1点ものや海外ブランドを展示販売している。ウクレレスクールも開講しており、土曜日の正午から無料のウクレレ体験レッスンも行っている。4Fは歴史的なウクレレを展示したウクレレミュージアム「樂」。見学は無料だが、スクールや社外ミーティングで使用する場合もあるので、事前予約するのが確実。説明員のアテンドも要相談で可能。詳細は、キワヤ商会ウェブサイトまで。

【取材後記】
安田さんのウクレレツアーでは1時間半から2時間ほど、じっくり時間をかけて説明してくれる。ウクレレについて知っている限りのことを、全て私たちに伝えようとしてくれているようだ。ショーケースにずらりと並べられた歴代のウクレレたち。世界中を探しても、ここまで揃っているミュージアムはないのではないだろうか。ハワイを愛する1人として、今回ウクレレの歴史に触れられたことを幸せに思う。皆さんもぜひ機会があれば1度、安田さんのウクレレツアーに参加してみては?