【Aloha Interview Vol.46】ミュージシャン・ハワイ文化研究家/神保滋さん
- 2013/12/17

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ミュージシャン、ハワイ文化講師、カネダンサー、映像カメラマンなど、多彩な顔を持つ神保滋さん。ハワイ・ライフスタイル・クラブでは、今年から『ハワイ語文化講座』の講師もお願いしています。十数年前より活動しているというアウトリガーカヌーの練習現場を訪ね、ハワイとの出会いや今夢中になっていること、今後の活動予定などをうかがいました。


HLC 多彩な活動の中でも、ミュージシャンとしての取り組みが特に目立つようですが。

――学生時代からサーフィンをしていたのがきっかけで、ハワイには波乗りのために通っていました。当時よく聴いていたのは、サーフィンロック。そんな中、あるスラックキー・ギターのギタリストが奏でるサウンドに衝撃を受けたのです。ハワイには、こんなにもエネルギッシュで土臭い音楽があるのかと。それから自分でもスラックキー・ギターを持ち、弾くようになりました。

 

HLC  スラックキー・ギターがきっかけだった。

――学生時代からサーフィンをしていたのがきっかけで、ハワイには波乗りのために通っていました。当時よく聴いていたのは、サーフィンロック。そんな中、あるスラックキー・ギターのギタリストが奏でるサウンドに衝撃を受けたのです。ハワイには、こんなにもエネルギッシュで土臭い音楽があるのかと。それから自分でもスラックキー・ギターを持ち、弾くようになりました。

 

HLC  スラックキー・ギターがきっかけだった。

――当時の日本は、ハワイに関する情報が乏しく、ハワイアンショップもほとんどなかった時代。唯一出入りしていたのは、東京・八丁堀にある輸入版のスラックキー・ギターのCDを扱っていたお店です。その店の店員の方から紹介されたのが、その後、自分のフラの師匠となるクム・フラのトニー・タウヴェラ先生です。彼はミュージシャンでもあるので、一度見学に行くように薦められました。

 

HLC それでフラも始めたわけですか?

――ええ。そのスクールにはカネ(男性)ダンサーが多く所属していました。フラは女性が踊るものというイメージが強かったので、少し意外でしたね。同年代の人たちもいるし、「とりあえずフラをやってみたら」と先生に薦められてフラを始めることになったのです。

 

HLC バンド「Kawaihae」はどのように結成されたのでしょう。

――フラメイトに音楽をやる人がいて、彼と意気投合したのがきっかけで一緒にバンド活動をするようになりました。その中で知り合った人たちのつながりで、横田基地に住むハワイアンの軍人と出会います。彼とセッションするうちに、友人や関東近郊に住む在日ハワイアンなどが横田基地に集うようになり、まずは「Da Uncles」を結成。しばらくして、メンバーの1人がハワイに帰るというので、残った者たちなどで誕生したのが「Kawaihae」です。自分以外は3人ともハワイアンですよ。

 

HLC 昨年、「Da Uncles」でハワイ公演をされていますね。

――十数年ぶりでしたね。久しぶりなので大きなところでやろうという話になり、ロイヤルハワイアンセンターで演奏させていただきました。ちょうど妻(AO AQUA)も一緒だったので、Da Uncles with AO AQUAで。

 

 

HLC  話は変わりますが、アウトリガーカヌーはどのような経緯で始めたのですか?

――これもフラメイトに誘われたのがきっかけです。湘南地域で初めてアウトリガーカヌーのクラブができたのは1999年のこと。彼が参加していた鎌倉のクラブで一緒にやらないかと誘われたのです。今でこそ湘南でもアウトリガーカヌーが盛んに行われていますが、当時は鎌倉のクラブ1つしかありませんでした。

 

HLC  カヌーの面白さは何でしょう。

――乗っていて気持ちいいこと、そして手漕ぎであることでしょうか。アウトリガーカヌーは基本6人乗りで、皆でタイミングを合わせてパドルをこぎます。偶数の人は右側から、奇数の人は左側からと、パドルが互い違いになるように。10~15回くらいこいで、パドルチェンジ(パドルをこぐ側を交換)をします。パドルをこぐタイミング、パドルチェンジのタイミングが合えば合うほどスピードが出るのです。それには全員の呼吸を合わせ、1つにならなくてはなりません。そんなところが気に入っています。

 

 

HLC  ハワイ文化にも精通し、ハワイの神話やハワイ語を教えられています。

――フラを始めた当初は、踊るだけで精一杯でした。誰しも最初は振りを覚えるのに一生懸命だったと思います。先生は歌詞の意味などを教えてくれるけれど、それ以上自分で学習しようというところまでは至りませんでした。しかしフラソングを演奏するようになり、歌詞を覚えるようになると、その意味についてとことん調べるようになったのです。

 

HLC  それでハワイ語について追求するようになるのですね。

――ご存知の通り、かつてハワイアンは文字を持っていませんでした。言語により歴史や神話を継承してきたため、同じフラソングでも歌詞がいくつもあったり、フラの起源に関しても先生によって意見が異なったり、神話の内容も様々であったりします。そのあいまいさがとても面白く、のめり込んでしまいましたね。

 

 

HLC 確かに面白いです。

――今、日本はある意味ハワイブームです。フラやアロハ精神など、日本にないものをハワイに求めたのが出発点となっているのでしょう。しかしハワイに接していると、文化や生活観、価値観、宗教観など、日本と似ている部分が次々に見えてきます。知れば知るほど、日本人とハワイアンとの共通点がどんどん出てくる。ハワイを通して日本文化を再発見し、自分たちが元来持っていた文化を改めて見直す作業をしてというような感覚です。

 

HLC  日本とハワイの共通点。例えばどんなことでしょうか。

――“アロハの心”です。日本人は“和の心”という、とても優しい文化をもっていて、最近では西洋でも学ばれています。しかし当の本人たちはそれに気づいていない。忘れてしまっているのかもしれません。“アロハの心”を学ぶことが、忘れていた日本の“和の心”を学ぶことにつながっているような気がするのです。

 

HLC  なるほど。他にはどんなことがありますか?

――自然崇拝の気持ちもそうです。日本でもハワイでも、自然を敬うのは普通のこと。サーフィンやアウトリガーカヌーをやっていると、ビーチをきれいにしなければならない、海を守らなければならないということに目覚めます。サーフィンやアウトリガーカヌーは元々ハワイの文化で、ハワイアンたちは昔から普通にビーチクリーンなどをしています。海洋民族である日本人も、海は危険であると同時に守らなければならないものであるということを感じています。そういうことを、ハワイの人たちを通して学び直そうとしているかのような印象を受けるのです。

 

HLC  普段のライフスタイルについて聞かせてください。

――様々な活動をしていますが、本業は映像カメラマンです。最近ではホーイケの撮影などを受けていますよ。ライブや講演などの依頼が入ればそちらに出向き、その合間をねらって、サーフィンやアウトリガーカヌーをしています。

 

HLC  お忙しそうですが、そのパワーの源は何ですか?

――“好奇心”でしょうか。元来好奇心が旺盛で、常にわくわくしています。面白そうなものにはすぐ飛びつき、とことん調べる。自分で調べないと気がすまず、1つの情報だけを信用したりはしません。様々な文献を読んだり、フラソングを作った本人に直接話を聞いたりします。

 

HLC  今後はどういった活動に力を入れていきますか?

――創作神話の本を出したいと思っています。また、ハワイの文化に関する講座などを開催していく予定です。神話やハワイ語などは、元々自分が興味を持って調べたり勉強したりしていただけで、誰かに伝えようという考えがあったわけではありません。しかし自分の好奇心を満たすために調べた内容をシェアできることをとてもうれしく思います。それが1つの入り口となって、相手のライフスタイルの一部になる。そのちょっとしたお手伝いができることを、とても幸せなことだと思っています。

 

HLC ありがとうございました。


【Profile】
1998年よりフラをクム・フラ トニー・タウヴェラ氏のもとで学び、キングカメハメハ・フラコンペティションやフラオニエ、メリーモナークの前夜祭などで踊る。2000年にアイランドミュージックバンド「Kawaihae」を結成。現在、マツモトシェイブアイスバンドの他、さまざまなバンドで演奏している。2009年より、着うたサイト・アラニアロハサウンドで「フラソング出る単講座」を毎週連載中。ビクター「アロハへブン HOALOHA」の選曲を担当。音楽ライナーノーツ・フラソング対訳、ハワイ文化に関する執筆活動を行なう。著書にEブック「ウクレレの誕生」、共著に「アロハ検定オフィシャルブック」がある。

【編集後記】
少年のように眼をきらきらさせながらお話しを聞かせてくださった神保滋さん。なるほど、私たちは元々日本が大好きで、だから日本と似ているハワイにこんなにも惹かれるのだろうと納得させられました。もっともっとたくさんハワイのお話を聞いてみたい。ということで、来年も神保先生のハワイ語文化講座は続きます。