【Aloha Interview Vol.73】レジェンドサーファー・ノーブランド元代表/出川三千男さん
- 2016/09/15

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日本にまだサーフカルチャーがなかった1960年代初頭から、サーフィンと共に人生を歩んできたという出川三千男さん。日本のサーフィン界の草分け的存在として、広くその名を知られています。このほど85年に立ち上げた自身のサーフボードブランド“ノーブランド”を後輩に譲り渡したとのこと。その心の内、そして70年代にハワイで体験したユニークな話をうかがいました。


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HLC もう何度も話されていると思いますが、改めて、サーフィンとの出会いを教えてください。

――鎌倉の稲村ヶ崎で生まれ育ちました。当時は本当に田舎で、遊ぶ所といえば目の前の海。幼少期から、春は磯でタコを捕ったり、冬はワカメやサザエを捕ったり。また、近くの貸しボート屋に置いてある板子(ボディボードの原型)に乗ったり、SUP(スタンドアップパドル)の原型のような物に乗ったりして、岸辺に打ち寄せる波で遊んだりするのが唯一のアクティビティでした。今思うと、それがはじまりだったのかもしれません。

 

HLC 子どもの頃から海と親しんでいたのですね。

――中学生になると、年上のビーチボーイ達に波乗りを教わるようになり、何となくコミュニティのようなものができてきました。この辺りは横須賀や横田の米軍基地が近いので、軍人がよく遊びに来ていたのです。彼らが波に乗るのを見たり、ボードを借りたり、古いサーフマガジンを見ながら、見よう見まねでボードを自作してみたり。そんな風にサーフィンの世界に入っていきました。1960年代初頭の話です。

 

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HLC  ハワイへはいつ頃行かれたのですか?

――初めて渡航したのは1970年。ワイキキに3カ月間滞在しました。当時は1ドル360円の時代です。クレジットカードもなく、なけなしの現金で口座をつくり、少しずつ引き出して使っていました。車を借りるお金もないので、遠出をする際は現地の人と友達になって車に乗せてもらったり、怪しい場所で雑魚寝したり。言葉は分からなくても、皆平気でした。リスクを負うのがサーファーですから(笑)

 

HLC サーフィンのメッカ、ノースショアはいかがでしたか?

――既に白人達が文化をつくっていました。ちょうどヒッピームーブメントと重なっています。ファッションも文化も集まり、ナチュラルフードの店がハレイワの手前の町にできてスムージーを飲んだり、裸足で生活したり。真冬のノースショアに行くのは一部のサーファーくらいしかいなく、様々なサーフハウスができていました。ハレイワには日系の人も多く住んでいて、白人の人も平気でお刺身を食べていたのに驚いたことも覚えています。3カ月、ノースショアに住んだ時は、冷蔵庫やソファーベッドなど、道端に置いてある物を拾ってきて使っていました。当時のノースショアは最高にかっこよかったですね。

 

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HLC その他、ハワイでのおもしろいエピソードを教えてください。

――友人のサーフィン仲間がハワイへ嫁ぎ、オアフ島のウエストサイドでフルーツスタンドをやっていたので、泊めてもらう代わりにマンゴーを採ってきたり、ココナッツを割ったりして観光バスで来るお客さんに売る手伝いをしたこともあります。ウエストサイドは田舎なので、沼にはまった牛をドロドロになりながら引っ張り出すことも。大変だけれど、面白かったですね。

 

それから、お寺に2週間くらい居候させてもらったこともあります。一宿一飯の恩義で、正月はお札の販売を手伝ったりしました。そのお寺の知り合いの農家を訪ねて、カウアイ島へ行ったこともあります。ライフルを持ってワイメアキャニオンに鹿を撃ちに行ったことも。他にも広島県人会、山口県人会などに参加して移民の方たちの苦労話を聞いたことも印象に残っています。

 

ウインドサーフィンが流行った時はカイルアで、レースがあると毎晩お酒を飲んでパーティ三昧。知らない家に行って泊まっても平気。本当によい時代でした。当時はハワイに関する情報があまりないので、コミュニケーションをとるためには人と会うしか方法がありません。今と違って、当時のハワイは本当に面白かったですね。

 

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HLC  ご自身のライフスタイルについて教えてください。

――平和なことよりもアクティブなことが好き。まっとうな人生よりも、面白いと思ったことをやってきて今があります。不安はありましたが、それ以上にサーフィンが精神的な支えになってくれました。これが自分のライフスタイルです。ライフスタイルは物でもなんでもなく、そういうことだと思います。

 

HLC  ノーブランドを後輩の小林さんに譲られましたが、その意図は?

――まだまだやりたいことがあるからです。ノーブランドでは、板を削るところから、磨き、営業、ライダーと、自分で全てをやってきました。そこまでやればもう十分。後に続く人が、そこに何らかの価値を見つけて継いでくれればそれで万々歳です。

 

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HLC 現在のサーフィン界に思うことは?

――サーファーの出口がないように思います。自分のビジョンを持った時に、その出口がなかなかありません。この国には“おもしろい”と言ってくれる人がいません。70年代にハワイに行った時、かっこいいと思ったけれど、そこにいるだけでは生活ができません。だから色々なことを経験し、苦労もしました。今の若い人たちも、イノベーションをしていくことが大切です。ハワイがそこにあるというよりも、自分が今ここにいるということがすごく大切。ハワイをどう見て、どう感じるかだと思います。

 

HLC ありがとうございました。

 

 

【Profile】
出川三千男 でがわ・みちお 1950年、神奈川県鎌倉市稲村ヶ崎生まれ。幼少期から海に親しみ、板子(木製のブギボー)、フロート(SUPの原型)などを経てサーフボードと出会う。高校卒業後サーフボードビルディングを始め、85年ノーブランド設立。71年全日本サーフィン大会優勝、72年世界大会出場、その後、日本プロサーフィン連盟(JPSA)の前進となる日本サーフィン連盟NPSAを発足するなど、日本における70年代のサーフカルチャーを牽引する。サーフィン歴50年以上。

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現在のノーブランド代表小林俊之さんからのメッセージ

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サーフィンは野球やサッカーのようにメジャーなスポーツではありません。サーフィン、ウインドサーフィン、ウェイクボードなどの見分けがつかない人も多いと思います。しかし、子どもから大人まで、体が動く限り自由にできるスポーツです。もっと女性や子ども達にも楽しんでもらいたい。日本でもハワイのようにレンタルボード屋が軒を連ねるように、盛り上げていきたい。その意味でも、2020年の東京オリンピック・パラリンピックはチャンスだと思います。“次にやりたいスポーツはサーフィン”と言ってもらえるような世の中にしていくために、ノーブランドが力になります。

そして皆さん海で遊びましょう! ロングボード、ショートボード、ボディボードなど色々ありますが、何でもよいと思います。波がある時はサーフィン、ない時はSUPなど。同じ波は二度と来ません。その日によってうねりや波の長さも違います。うまい下手ではなく、楽しむことが一番。乗る楽しさは、乗った人にしか分かりません。もしチャレンジする勇気がなければ、言ってもらえれば一緒に入ります。ショップは誰でも入ってこられるように常にドアをオープンにしています。海から見る陸はまた違って見えますよ。

【編集後記】
日本でサーフィンをしている人であれば知らない人はいない出川さん。そんなレジェンドサーファーのインタビューはサーフィン中心となると思いきや、70年代でのハワイの体験談をお聞かせいただき目からウロコでした。様々な経験をされてきた方のお話は言わずもがな説得力を感じ、男ならアドベンチャーに出ないと!と思わずにいられません。

 

TAMO